ポーランド

【ポーランド】負の世界遺産アウシュヴィッツ訪問記。見所・行き方・料金

2019年GWの東欧旅行にて。

ポーランドにあるアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所に行ってきました。

ナチスによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)は学校でも勉強しましたし、ヨーロッパを旅行するときにホロコースト関連の記念碑などを見かけることが多かったので、いつかは行ってみたいと思っていた場所。

ホロコーストに興味がある方はイスラエルのホロコースト博物館もかなり見応えあっておすすめ。資料の数ではこっちのほうが上かもしれないです。

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所とは

まずはじめに、さらっとアウシュヴィッツについて。

第二次世界大戦中、ヒトラーを党首としたナチス政党によってユダヤ人が虐殺されたホロコースト。世界中でおよそ600万人のユダヤ人が虐殺されたといわれています。

史上最悪の大量虐殺である「ホロコースト」を、忘れてはいけない負の歴史として伝える場所の一つが、ここアウシュビッツ=ビルケナウ博物館なのです。

アウシュヴィッツ第一強制収容所は1940年にポーランド南部のオシフィエンチムに建設されました。そのあと、近くにビルケナウ第二強制収容所がつくられ、いまは両方とも見学することができます。

1945年の解放後、ポーランドにいたユダヤ人たちは、犠牲者の追悼と、家族の手がかりを求めて訪れる人々のため、施設の保護に動いたのがこの博物館のはじまり。

1947年には最初の展示が行われ、以来、ホロコーストの悲惨さを後世に残すための記憶の場として、また墓標をもたない多くの犠牲者の墓地としての役割を果たし続けています。

1979年にはその存在の重大さから、ユネスコの世界遺産に登録されました。

ここで起きた悲劇から「負の世界遺産」とも呼ばれています。

アウシュヴィッツ観光は現地ツアーを利用

死ぬまでに行きたい場所の一つだったアウシュヴィッツ。

普段ツアーガイドは申し込まない筆者ですが、今回はしっかりと理解したかったのでツアーガイドを利用しました。日本語ガイドさん同行の、クラクフ発半日ツアーです。

予約はVELTRA経由で現地ツアー会社を申し込んで11,000円ほど。はじめてVELTRAを利用したんですが、スケジュールや注意事項などが細かく明記されていたので安心して予約することができました。

VELTRAは日本語で現地ツアーが申し込めるので本当おすすめです。

VELTRAのアウシュビッツツアーをみる

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に実際に行ってきた

いよいよ当日!

14時にクラクフの中央広場の近くのマテイキ広場 グリュンワルド記念碑の騎馬像前に集合。参加は全員日本人で、私のほかにも一人で参加している人が3人いました。

ミニバンに乗り込んで出発。約2時間のドライブです。

余談ですが、個人手配でバスを利用する場合、「アウシュヴィッツ」という行き先はありません。オフィシエンチム(Oswiecim)行きのバスに乗ってミュージアム(Museum)の停留所でおりましょう。

道中ではガイドさんがアウシュヴィッツの概要をお話してくれたんですが、私はその声が心地よくて爆睡。笑

アウシュヴィッツ第一強制収容所

アウシュヴィッツ博物館に到着です。

アウシュヴィッツ博物館では持込手荷物の制限があり、30×20×10cmの荷物のみ持込が可能。小さいバッグを用意していきましょう。

ここには年間約140万人の人が訪れると言われており、10年前に比べて3倍以上になっているそう。

セキュリティゲートを通って入場です。

有名な収容所の正門。「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」と書かれていますが、実際には10人に1人も生き残れなかったんだそう。

よく見ると、「ARBEIT MACHT FREI」のBの文字が反転しています。これは収容者のせめてもの抵抗だと言われています。

中に入ると整然とした収容者棟が並んでいます。建物は修繕されたものもありますが、当時もほぼこのような風景だったそうです。

収容者棟の一部が展示スペースとなっており、各棟を回って資料や展示をみていきます。

ユダヤ人が普通の生活からゲットー(強制居住区)に大移動する写真。

ぶっちゃけ展示写真のエグさはエルサレム(イスラエル)のホロコースト博物館の方がショッキングだったので、ここは割愛。

はじめて見るひとは相当なショッキングを覚悟。

ユダヤ人から没収した義足たち。障害者もホロコーストの対象となりました。

自分の持ち物を入れていたバッグたち。没収する際、安心させるために「あとでわかるように」という理由で名前と住所を書かせました。

ユダヤ人たちの靴たち。質がいい皮だったり、まだ使えるものは売り飛ばされました。

一部は写真撮影禁止のエリアがあり、そこには収容者から刈り取った髪の毛がすごい高さまで積まれていました。髪の毛は布や毛糸として加工され、市場で売ることで国家資金となっていました。

ナチ政党が終わりを迎えたあと捜査が行われる中で、布から人毛が検出されたことで発覚したそうです。

「死の壁」と呼ばれる場所。主に抵抗組織の人間などが、ここで膝をつかされて射殺されたといいます。

収容者に射殺の場面を見られないよう、窓には板が取り付けられています。

逃げようと思えば逃げられたのでは?と思う人も多いかもしれません。

脱走をしようと思えばできたのかもしれません。しかし、脱走を図れば連帯責任で家族や仲間が殺されたし、被収容者が被収容者を管理するシステムにより、連帯感を抱きづらい状況が作られていました。

そのため脱走を図ったのは片手で数えられるくらいだったそうです。

アウシュヴィッツの次はビルケナウ強制収容所を見学します。

アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ

アウシュヴィッツからツアーバスで移動して10分ほどのところにビルケナウ強制収容所があります。

この線路もホロコーストの有名な写真。この線路はヨーロッパ中から繋がっていて、ユダヤ人が次々と運ばれてきました。

ユダヤ人を乗せた貨車。窓がなく、降りたときは眩しくて目が開けられなかったといいます。

到着するとすぐにドイツの軍医が顔色をみて働けるかどうかを判定する「選別」が行われました。およそ75%のユダヤ人が働けないと判断され、そのままガス室に送り込まれました。

「シャワーを浴びる」と伝えられたそうですが、行く先はガス室。しかし、ガス室だと気づかれないようフェイクのシャワールームまで用意してあったといいます。

第一よりは小さいですが、第二収容所ビルケナウには現存しているガス室があります。

天井に小さな穴があり、ここからガス缶が投げ込まれると15〜20分で窒息死しました。

使用されたのはチクロンBという毒薬。この一缶で150人を殺すことができたんだとか。

製造元のデゲッシュ社は現在も存在しているそうです

死体は被収容者が運んで、以下の写真の焼却炉で焼かれました。

天井の穴から缶を投げ入れれば、ドイツ人は後処理をする必要がない仕組みになっています

最後に、余命わずかな女性たちが収容されていた棟へ。

3段ベッドになっており、一番下のスペースには立つことすらできない重病人が詰め込まれ、ひたすら死を待つのみでした。

意外というかびっくりしたことは、人口の75%がユダヤ人であるイスラエルの人たちがここを訪れていたこと。

ガイドさんに聞いたところ「イスラエルには徴兵制があり、自国の文化を真の意味で理解するためにも修学旅行先をアウシュヴィッツにしている」とのことでした。

ホロコーストはイスラエルの考え方そのものを形作った出来事ですしね。

行かなきゃわからないことがまだまだあるなあ・・

クラクフ旅行のヒント集

クラクフへ行く前に役立つ(かもしれない)情報をまとめました。参考になれば嬉しいです!

ガイドブック編

はじめて行くのに1冊は持っていきたいガイドブック。おすすめは以下です。

旅のヒントBOOK

イカロス出版の「旅のヒントBOOK」は見やすいデザインと女子好みな情報がたくさんつまったお気に入りの一冊。また、定番だけではなく少しマニアックな観光スポットが載っているのがポイントです。

とっておきのポーランド

「地球の歩き方」が出しているガイドブックのGem Storeシリーズ。必見の観光スポットから地方まで、幅広く紹介しているのがポイント。ポーランドのどこに行くかまだ決めてない人にはちょうどいい1冊だと思います。

宿泊編

Aparthotel Best Viewsのラグジュアリーダブルルーム

ポーランドの物価はとにかく安い!!私が泊まった旧市街広場の近くにある、アパートホテル ベスト ビューというホテルは、上の写真の部屋で1泊8,000円でした。せっかくだしちょっといいホテルに泊まってみるのもいいかもしれないです◎

 クラクフのおすすめホテルAparthotel Best Views宿泊レビュー【コスパ最高】

そのほかクラクフのおすすめホテル!
ボネロウスキホテル(13世紀の建造物を改装)
ホテル ポッド ロザ(旧市街中心地にある高級ホテル)
ホテル コペルニクス(ルネサンス様式の5つ星ホテル)

交通編

プラハからクラクフまで夜行列車で移動したんですが、これが想像以上に快適で素晴らしい体験でした!ガタンゴトンと音がする列車の中で目覚めると、外の景色がガラッと変わっている光景をみると、旅気分がさらに盛り上がります。ヨーロッパの陸路移動の参考にしてください。

 プラハからクラクフの夜行列車が超快適だった。予約方法・料金・乗車記