チェコでしか見ることのできないキュビスム建築は、1909年から1925年までの間という限られた時期にしかつくられなかった不思議な建物です。
さらに不思議なことに、キュビスム建築はチェコ(主にプラハ)でしか建設されておらず、それゆえにとても貴重で珍しく、世界の建築家たちから注目されています。
本記事ではそんなキュビスム建築がみられる建物を8つ紹介します。
チェコ国内でもプラハ中心部に多く集中しているため、プラハへ行った際はせっかくなのでみておきたいところ。
目次
キュビスム建築とは?
「キュビスム建築ってなんぞや?」という方も多いと思うので、まずはキュビスム建築について簡単に解説します。
「キュビスム」とは簡単にいうと、一つの物体を、固定した一つの視点で描くのではなく、さまざまな角度からみたイメージを一つの絵の中に合成したものです。切子を思わせる幾何学的なデザインが印象的。
このキュビスムをスタートさせたのは、皆さんもご存知の有名な画家・ピカソとブラックでした。
ピカソとブラックが展覧会のためチェコを訪れた際に、チェコにキュビスムが伝えられたと言われており、その影響範囲は絵画、彫刻、工芸、家具など幅広いものでしたが、その中心が建築分野でした。
その不思議な魅力は、言葉を尽くすよりも、見ていただいたほうが手っ取り早いのでさっそく紹介していきます!
ヴィシェフラド丘の麓エリア
キュビスム建築が多く残っているのは、ヴルタヴァ川沿いのヴィシェフラド地区。
ヴィシェフラドとはスラブ語で「高い城」という意味。10世紀前半に建てられたこの城は、古い雰囲気をが味わえる場所です。
この城の麓には、5つのキュビスム建築があり、そのうちヨゼフ・ホホルが建設した3軒が有名。以下でそれぞれご紹介します。
3世帯住宅
キュビスム建築でここで一番有名なのは「3世帯住宅」でしょう。バルコニーのある建物を中心に左右対称になっています。
フランチシェク・ホデク・アパートメント
同じくヨゼフ・ホホルによって1914年に建てられた、フランチシェク・ホデク・アパートメント。
1枚の壁を1つの平面と見立て、そこに凹凸をつけて壁自体に立体感を出すことで、はじめから立体的である建物でキュビスムを表しています。
ネクラノヴァ通り沿い
コヴァジョヴィチ邸
ヨゼフ・ホホルの代表作であり、キュビスム建築のモデルとしてよく取り上げられる館。3世帯住宅のすぐそばに位置しています。
プラハ中心部エリア
続いて、ヴィシェフラド以外にも、プラハ中心部から歩いて見学できるキュビスム建築を5カ所をご紹介します!
キュビスムの街灯
1912年にエミル・クラークが制作したもの。腰をかけられるベンチが土台になっています。
アドリア宮殿
ユングマン広場にそびえるアドリア宮殿。イタリアの保険会社アドリアから名付けられたんだそう。
ここはパヴェル・ヤナークが1925年に完成させたもので、アールデコの要素が強くみられる作品です。
黒い聖母の家
1912年にヨゼフ・ゴチャールが建てた「黒い聖母の家」は、外観からはキュビスム要素を感じませんが、中の階段は見事の一言!
ダイアモンド館入り口
1913年にエミル・クラーリーチェクによって制作された作品。名前は依頼主のダイアモンド商会に由来しており、門柱に鋭い線が刻まれているのが特徴。
スパーレナー通り沿い
チェコスロバキア義勇軍銀行
ヨゼフ・ゴチャールの傑作といわれるチェコスロバキア義勇軍銀行。ファザードには円形や半円形を多用した「ルンドキュビスム」が際立っています。また、レリーフは第一次世界大戦の義勇軍を称え、また独立の喜びも力強く表しています。
まとめ:プラハのキュビスム建築を楽しもう!
ボヘミアでは早くからガラス工芸が盛んで、ボヘミアガラスやチェコビーズにもみられるように、クリスタルやガーネットに施すカット技術が発達していました。
キュビスム建築を眺めていると、まるで鉱石をカットしたような鋭角が壁に現れているものが多いと思います。
プラハで流行った理由は、そんなところにあるのかなあ。
プラハは「歩く屋外博物館」といわれているように、街を歩いているだけでさまざまなアート作品に出会うことができます。以下ではチェコの奇才、ダヴィッド・チェルニーの屋外展示も紹介しているので、ぜひ町歩きに取り入れてみてください♪