第二次世界大戦中、ドイツのナチスによりユダヤ人が虐殺されたホロコースト。世界中のおよそ600万人のユダヤ人が虐殺されたといわれています。
ユダヤ人が国民の人口の75%を占めているイスラエルにとって、ホロコーストは国としての考え方を形作った最大の出来事といっても過言ではありません。
今回はエルサレムにあるホロコースト記念博物館「ヤド・ヴァシェム」へ行ってきたので、レポートしたいと思います。
ヤド・ヴァシェムとは「名前と記憶」という意味で、犠牲者一人一人を記憶にとどめるためにつくられたとか。
イスラエルのホロコースト記念館「ヤド・ヴァシェム」
地下4,200平方メートル以上の面積を有するヤド・ヴァシェムは、映像や1万点以上の写真、5500万ページ以上の文書、書籍、82,000以上の記事を含む資料が集められた、ホロコーストの情報では世界でも有数の保存場所となっています。
中は180メートルの長い線状の構造をしていて、それを挟んで展示部屋が枝分かれしています。
物語のはじまり、途中、そして終わりで、ルートがうまく作られていて、私たちは歴史の物語を順に追っていくような感覚で回ることができます。
博物館の歴史的物語の終わりには、数百万人のホロコースト犠牲者のための記念館「死者への記念碑」のホールがあるのでこれは必見。
行き方
行き方は以下の方法があります。
1.バス・・・10、16、20、23、24、26、26a、27、27a、28、28a、29、33、25、39、150番のバスで「Mount Herzl」下車
2.無料シャトルサービス・・・ヤド・ヴァシェムの営業時間中、ヘルツル山とヤド・ヴァシェムの間を無料シャトルが運行。時刻表はHPから
3.車・・・新市街から30分ほど
私はバタバタで移動手段について調べる余裕がなく、旧市街からタクシーで行きましたが、1,000円ほどでした。
ヤド・ヴァシェムに実際に行ってきた
広々とした白い建物がヤド・ヴァシェムです。
入場料は無料で、中で端末式の音声ガイドを25シェケル(約750円)でレンタルできます。ただし日本語の音声ガイドは用意がないためご注意を。
館内は撮影禁止になっていますが、主に各国に住んでいたユダヤ人がどんな生活をしていたかというところから始まり、ナチの台頭、それにより脅かされる生活、迫害の始まりなどなど・・とにかく盛りだくさん。
ギャラリー1:The World that Was
博物館の入り口には、ホロコーストが始まる前のユダヤ人の世界を描いた10分のビデオが流れています。
ここからユダヤの地域社会の世界に入り込んだような感覚になっていきます。
ホロコースト前のユダヤ人の生活を記録した良質な映像は少ないため、さまざまな映画のクリップを1つの背景にブレンドすることで再現したのだそう。
ギャラリー2:From Equals to Outcasts
このギャラリーでは、ドイツのユダヤ人が平凡な市民から暴行される側へ変わっていくのを見ながら、ナチスが行った政策の変化がわかります。
ドイツのユダヤ人の典型的な部屋が再現されていて、ドイツ語によってユダヤ人の生活や文化が語られていました。
その時代に住んでいたユダヤ人の立場から描かれており、差別的かつ恐ろしい政策に対するユダヤ人の個人として、また共同体としての反応がわかりやすく解説されています。
ギャラリー3:The Awful Beginning
ポーランドのドイツ侵攻は戦争の始まりですよね。このときドイツの反ユダヤ主義政策も新たな段階をむかえました。
ギャラリーに表現されている反ユダヤ政策は、激しい暴力や虐待、そしてポーランドのユダヤ人の生活基盤を弱体化させる措置が詳しく描かれています。
ドイツ人はユダヤ人を隔離し、財産を盗み、生計をたてる術を取り上げ、残酷な強制労働のために徴兵する特別措置を行いました。
ユダヤ人には服の上にダビデの星座を持つバッジを身に着けるよう命じられます。これは一般の市民からの決定的な分離の象徴であるだけでなく、ユダヤ人が屈辱を与える対象のため、すぐに見分けがつく手段でもありました。
このギャラリーは、ユダヤ人が普通の生活からゲットー(ユダヤ人が強制的に住まわされた居住区)へ大移動する場面までで終わります。ギャラリーを出ると、ユダヤ人が使用していたワゴンが家から出て行くのが見えます。
幸せで平凡な生活から一転して、暴力と差別が本格的に始まっていく様子が本当にリアルで、このあたりで私の気分はすでにズーンと沈んでいました。笑
まだ半分も見ていないのに。。
ギャラリー4:Between Walls and Fences
このギャラリーの最大のポイントは、東ヨーロッパのゲットーでユダヤ人が経験したことを、訪問者がより理解できる内容になっていること。そのために4つのゲットーがピックアップされています。
ポーランド最大のゲットー「ウッチ」と「ワルシャワ」、リトアニアの「コブノ」、プラハ北西部の「テレージエンシュタット」です。
ウッチ・ゲットー(Lodz Ghetto)
ドイツの奴隷労働者として強制収容されていた。最も非人道的な条件のもとで働いていたユダヤ人は、一生懸命働けば絶滅収容所への強制送還から逃れられると信じていた。しかしゲットーが1944年8月に解体されるほんの数週間前に、そこにいたユダヤ人はすべてガス殺されてしまった。
ワルシャワ・ゲットー
ゲットーのうち最大で、およそ50万人を収容していた。ゲットーで行われた手紙の収集と研究は、歴史学者により収録されていて、ゲットーの住人による生きるための抵抗にフォーカスされている。
コヴノ・ゲットー
このゲットーは、殺害されたコミュニティの3分の1がナチスの計画に関して幻想の余地を残していた。彼らの運命ははっきりとわかっているにもかかわらず、住民たちは生命と文化を維持しようとする努力が際立っていた。
テレージエンシュタット・ゲットー
ギャラリーの中心にあるのは、1943年にこのゲットーで作られたユニークなモノポリー・ゲームボード。ゲームのステーションは、ゲットーの通りや主要の建物にちなんで命名された。ゲームボードをゲットーの拠点として利用することで、仲間のユダヤ人が子供や高齢者をどのように扱い、世話していたか、人々が芸術や音楽、詩の作品を通じて自分の気持ちを表現した様子を見ることができる。
ギャラリー5:Mass Murder
ドイツ軍のソ連への攻撃は、ユダヤ人の大量殺戮計画の開始を意味します。最初の4カ月間に、800人の兵士が75,000人のユダヤ人を殺害しました。
スクリーンでは数少ない逃げ切った人の声を聞くことができ、ユダヤ人コミュニティの虐殺の希少な写真も見ることができます。
さらにこの展示スペースでは、ユネスコ問題の「最終的解決」を実施するために必要な措置について議論するために招集されたヴァンゼー会議を紹介しています。
この会議の目的は、すべてのユダヤ人を殺害することによってユダヤ人問題を「解決する」ことについて議論するのではなく、もうすでに決定されていて、その実行方法を検討することだったようです。
ギャラリー6:The “Final Solution”
つづいて6番目のギャラリーはヤド・ヴァシェム最大の展示スペース。ここではヨーロッパにおけるユダヤ人問題の「最終的解決」と、ゲットーのユダヤ人による抵抗運動の実施について説明されています。
ユダヤ人がナチスの手に渡り、自分たちの運命を理解しはじめると、ワルシャワ・ゲットーの反乱がおきました。
この反乱は、ユダヤ人コミュニティ全体の完全な消滅に直面した、最後の尊い頼りになる手段として、抵抗したものだといわれています。
ギャラリーの北東の角には、死の収容所への強制送還のため、広範なネットワークが描かれています。
牛舎の本物の断面をみながら、アウシュビッツに焦点をあてた最後のギャラリーにつながります。
ギャラリー7:Resistance and Rescue
このギャラリーには、シンドラーがナチスの強制収容所行きから救った、約1200人のユダヤ人の名前が記されている「シンドラーのリスト」を見ることができます!
7冊あったとされる同リストのなかで、現存が確認されている4冊のうちの1冊ですね。
ホロコーストを通したナチスの統治に対するユダヤ人の反抗に関する展示が多かったです。
ユダヤ人男性や女性、子供がユダヤ人組織のメンバー、特にフランスやハンガリーの地下移動組織として、ヨーロッパのほとんどすべての抵抗運動に積極的に参加していたことが記されています。
ユダヤ人救出の試みには多くの形がありました。フランスでのユダヤ人救出の経験を描いた展示や、当時のユダヤ人に対する無関心と敵意に対する国家間でのそれぞれの正義に関するストーリーが掲載されています。
ギャラリー8:The Last Jews
このギャラリーでは、非人格化、屈辱、アイデンティティの喪失、飢餓、死、強制収容所について紹介されています。
この展示の終わりには、彼らが解放された瞬間を描く生存者の証言を聞くことができます。
彼らの悲しみ、家族を失った痛み、そして愛する人たちを探し続けること。また、解放された兵士によって世界に公開された最初の画像と文書も描かれています。
ギャラリー9:Return to Life
9つ目のギャラリーはホロコーストの生存者についてフォーカスしています。多くの人たちは「解放されたが自由ではない」と感じていたそうです。
喪失感や苦悩、憎しみの記憶と、人生をやり直し新たな未来を創り出す希望の間で生活をしていた、その緊張感を表しています。
また、生存者は戦争中の経験の結果として、シオニズムへの圧倒的な親和性を感じることになります。
ユダヤ人のための領土的解決策を見つけることの重要性と、世界各国が公正に行動し、生存者の扉をひらく必要性をますます確信してきます。
Hall of Names
最後に着いた場所はぱっと明るくひらけている場所でした。ヤド・ヴァシェムのHall of Namesは、ホロコーストで亡くなったユダヤ人に対するユダヤ人の記念碑であり、新しい時代の到来を記念する場所です。
円形ホールにはホロコーストの犠牲者の短い伝記が収録されています。
200万ページを超えるホールは、外縁のまわりに円形リポジトリに格納され、全部でおよし600万人分のスペースがあるそうです。
ホールの真ん中の高さ10メートルの円錐には600枚の写真が展示されています。
ホールの端にはページが投影されるガラススクリーンがあり、ここから証言書と生存者登録書が登録されているコンピューターセンターに入ることで、被害者名をデータベースで検索することができるそうです。
なぜヤド・ヴァシェムが嘆きの壁の次に重要と考えるのか
ホロコーストの歴史を理解することは、イスラエルを理解する上でとても重要だと思います。
ホロコーストはイスラエルの考え方を形作ったものであり、大規模な残虐行為が「決して繰り返されない」よう灰から自分たちの国を創造しようとする意欲、破壊されたあと、より良いものを創り出そうとする強い意志の両方があります。
ヤド・ヴァシェムを訪れることは、イスラエルの初期の時代を形作る出来事を理解するのにとても役立ちますし、観光するにしてもそれぞれの場所に意味を加えることができます。
涙が出るほど痛ましい展示ばかりかもしれないけれども、未来への希望も感じることができるだろうし、決して忘れることのできないものになると思います。
イスラエルへ行く前に
イスラエルへの渡航準備に必要な情報をまとめました。参考になれば幸いです♪
ガイドブック編
見知らぬ国へいくのに1冊は持っていきたいガイドブック。以下でおすすめの2冊をご紹介します。
地球の歩き方
朗報です。ついに2019-2020年版が出ました!(笑)私がイスラエルへ渡航したとき(2018年4月)には2015年版までしか出ていなかったので、皆さんが書いたブログをたよりに地道に調べましたが、地球の歩き方があれば情報収集は楽になりますね。
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すごいぞ!イスラエル
イスラエルに旅行したとき唯一持っていった本が、みなみ ななみさん著の「すごいぞ!イスラエル」です。イスラエルの基本的な文化から生活スタイル、「なんでそうなの?!」というツッコミどころ満載なイスラエリ(イスラエル人)を、イラストを混じえておもしろおかしく書いています。イスラエルという国民性を広く浅く理解するならこちらの本がおすすめ。
現地ツアー編
イスラエルの現地ツアーはなかなか見つけにくいのですが、VELTRAでは日本語ガイドが予約できます。以下のようなツアーがあるので、滞在日数や予算にあわせてチェックしてみてください。
- エルサレム旧市街とオリーブ山徒歩観光プライベートツアー<日本語ガイド>
- 世界遺産・マサダ要塞+エン・ゲディ国立公園ハイキング+死海で浮遊体験 1日観光ツアー<英語ガイド/テルアビブ or エルサレム発>
- 活気あるスークに教会の鐘が鳴り響く町 ベツレヘム半日観光プライベートツアー<日本語ガイド>
- 世界遺産 エルサレム旧市街+ベツレヘム+カスル・エル・ヤフド+死海浮遊体験 1日観光ツアー<英語ドライバー/テルアビブ or エルサレム発>
宿泊編
ホテルの予約は早ければ早いほど、良い部屋がとれたり、安くなったりします。物価が高いイスラエルで、安くて評判がいいホステルStay Inn Hostelのレビューを書いたので参考にしてみてください。
【宿レポ】エルサレムのゲストハウス「ステイインホステル(Stay Inn Hostel)」宿泊体験記
そのほかイスラエルおすすめホテル!
エルサレム
・マミーラホテル(建築家ピエロ・リによるデザイン)
・キング デイビッド ホテル(エルサレムで最も有名な豪華ホテル)
・ザ ポスト ホステル(立地最高のモダンなホステル)
テルアビブ
・セントラルホテル(ヤッフォ中心部の格安ホテル)
・サン シティ ホテル(バルコニーから街がみられる部屋あり)
・ダビデ インターコンチネンタル(高級ホテル)
・ヒルトン テルアビブ(高級ホテル)
アクセス編
イスラエルの玄関口「ベン・グリオン空港」はテルアビブ市内にありますが、テルアビブを経由せずエルサレムまで直接行くことができます。以下でエルサレムへのアクセス方法(バス・タクシー・シェルート)を紹介してるので、参考にしてください。
イスラエルのベングリオン空港からエルサレムへの移動手段はシェルートがおすすめ!