ネパールトレッキングのガイドで有名なシェルパ族。
ヒマラヤ遠征が発展するのにともなって、登山にかかわり高所登山のガイドや荷物運び(ポーター)の代名詞として知られるようになりました。
今回は、そんなヒマラヤ登山の代表的な存在として活躍するシェルパ族について紹介します。
シェルパ族は高所にめちゃくちゃ強い
もともとシェルパ族はチベット高原にルーツをもち、17〜18世紀にヒマラヤを超えて今のネパール東部の山岳地域に住むようになった民族。
気圧が低い高所で生まれ育った彼らは、ヒマラヤに体が適応しているまさに「山の民」。
酸素が薄くても体を動かすことができ、山歩きで鍛えた足腰は重い荷物を簡単に運ぶことができます。
そんな能力に目をつけたのがヒマラヤに挑む海外の登山者たち。シェルパをポーターやガイドとして雇いはじめました。そうするとシェルパたちは貴重な外貨収入を求め、山の仕事に関する専門家として活躍しはじめたのです。
そんなシェルパが高所に強いのは遺伝ではないかとされる説があります。3世代以上同じ環境にいると、生まれたときにはすでに先天的に対応能力が備わるという研究結果があります。
シェルパの里は標高3,000m以上の高山地帯。何世代にもわたってそこに住んでいるため、完全に高所に順応した遺伝子が受け継がれているとあれば、彼らの高所に対する強さは納得です。
シェルパ族の里・ナムチェ
彼らがチベット語で「東の民」と呼ばれている由来が、クーンブ地方最大のシェルパ村ナムチェ。
エベレストベースキャンプへとつづくエベレスト街道の途中、標高3,440mに位置し、山に沿うように家々が並んでいます。
見上げるとヒマラヤの山々を望むことのできる、シェルパの村の象徴的な光景です。
村にはカフェやレストランだけでなく、銀行や郵便局もそろっており、トレッカーたちの登山基地となっています。
プジャと呼ばれる儀式で安全祈願
慣れ親しんでいても、シェルパの人たちにとってヒマラヤは神々の住む神聖な山。
登山を仕事とするようになってから現在も、山に入る前には登頂と安全を祈願する「プジャ」という伝統的な儀式を必ず行なっています。
僧侶が経文を読み上げ、米や小麦を空中に投げ、神へのお供え物をしてお祈りをします。プジャを目の前にすると、ヒマラヤが神々の山であることを再認識させてくれます。
シェルパ族の誇り テンジン・ノルゲイ
テンジン・ノルゲイは、1953年にエドモンド・ヒラリーのパートナーとして人類で初めてのエベレスト登頂に成功したシェルパです。
世界最高峰の山に登頂した勇敢なシェルパとして、その名を知らないネパール人はいません。
のちにヒマラヤ登山協会の実地訓練監督に就任し、1978年にはヒマラヤでのトレキングツアー会社「テンジン・ノルゲイ・アドベンチャーズ」を設立。ヒマラヤで活躍するシェルパの基礎を築きあげ、後世への道筋を作った最重要人物です。
「シェルパ」という職業
エベレストに代表されるような高所での登山では、ベースキャンプの設営や山頂までのルート開通といった「下準備」が必要とされます。
氷河の動きや崩落などにより、登山ルートは毎年変化します。それをシーズンはじめに調査して整えるのがまさにシェルパの仕事。
大量のロープやテント装備をかついでルートを何度も行き来することもある重労働はシェルパでこそできる仕事です。そんなシェルパたちのおかげで、登山者は安心して山頂を目指すことができるのです。
シェルパには危険を察知する第6感がある?
現地ではカン・ヌル(耳なき)と呼ばれる現象。超常現象なのか耳の感覚の良さによるものなのかは不明とされていますが、不吉な出来事の前兆とされています。
カン・ヌルはいわゆる耳鳴りのようなもので、音がないはずなのに異音が聞こえるらしいのです。
話題になったのは、2014年のエベレストでの雪崩事故。荷揚げをしていたシェルパが雪崩の前にカン・ヌルを聞き、仲間とともに下山したため事故にあわずに済んだといいます。
危機一髪で一命をとりとめたため、「神のご加護だ」と話題になりました。