「人間よりも神様が多い国」といわれるネパールは神秘的なイメージが強い国。
ネパールは、つい十数年前まで世界で唯一ヒンドゥー教を国教としている国でしたが、政教分離によって仏教徒も多くあらわれました。
主にネパール人はヒンドゥー教徒もしくは仏教徒ですが、古代から信仰されている土着の神々も存在します。
今回はそんなネパール独自の仏教・ヒンドゥー教の信仰についてご紹介します。これを少し知っているだけで、ネパールの遺跡巡りがもっと楽しくなるはずです!
目次
ネパールにおけるヒンドゥー教とは?
信者が一番多い宗教
ネパールは2006年に民主化運動の高まりを受け、議会が政教分離を宣言しました。
これによりヒンドゥー教は国教ではなくなりましたが、現在でもネパール人の約80%がヒンドゥー教を信仰しています。
王国の時代に国を支配していたパルバテ・ヒンドゥーと呼ばれる民族は、「山地のヒンドゥー教徒」という意味で、現在もネパールの人口の半数を占めています。
生き神「クマリ」を信仰している
ヒンドゥー教におけるネパール独自の信仰といえば、生きる女神「クマリ」の存在です。
起源は明らかになっていないのですが、6世紀ごろには信仰されていたといわれています。
カトマンズのクマリの館に暮らしているのはロイヤル・クマリ。そのほかネパール各地に10人ほどのローカル・クマリがいて、預言を行います。
クマリの選抜方法は儀式で決められ、健康で美しい女の子の中から、生贄の動物の生首が並んだ部屋で一晩泣き叫ばずにすごした少女が選ばれるんだとか!初潮を迎えると役目を終えて、新しいクマリが選ばれます。
カトマンズのダルバール広場にある「クマリの館」では、拝観料を支払えば、窓から数秒間顔を出すクマリを参拝することができます。
ネワール族は仏教徒・ヒンドゥー教徒さまざま
古くからカトマンズ盆地一帯に居住し、かつてはこの一帯を支配して文明を築いてきたネワール族は、同じ民族の中でも仏教徒とヒンドゥー教徒にわかれています。
ネワール族が信仰するヒンドゥー教は、王国の時代に国を支配していたパルバテ・ヒンドゥー教が信仰するものとは異なる特徴があり、神秘主義的な影響が見られます。
ドゥルガーを代表とする女神への信仰が強い
インドのヒンドゥー教と似て、ネパールでもシヴァ神やヴィシュヌ神が広く信仰されていますが、女神を信仰する文化はネパールならではといえるでしょう。
ドゥルガーやカーリーなどの女神が代表的で、特にカトマンズ盆地一帯は女神崇拝が色濃く残り、「八母神」が広く信仰されているのも特徴。
八母神とは?
インドでは古くから七母神(ブラフマーニー、ルドラーニー、カウマーリー、ヴァイシュナヴィー、ヴァーラーヒー、インドラーニー、チャームンダー)が知られていますが、ネパールではこれにマハーラクシュミーを加えた八母神がよく知られています。カトマンズ盆地の八方位を守護しており、ヒンドゥー教徒と仏教徒の両方から礼拝されています。
ネパールにあるヒンドゥー教の聖地
パシュパティナート寺院
1500年の歴史があるといわれている、シヴァ神を祀るネパール最大のヒンドゥー教の寺院。寺院の前を流れるバグマティ川には火葬場があって、毎日そこで死者の火葬が行われています。建物にはヒンドゥー教徒でなければ入ることはできませんが、外から見る分には問題ありません。毎年2月のマハー・シヴァ・ラートリの日は巡礼の人々で賑わいます。
チャング・ナラヤン寺院
カトマンズから東に20kmほどの場所に位置する、カトマンズ盆地最古とされる寺院。建立は西暦323年といわれています。ヴィシュヌ神の化身といわれるナラヤン神を祀っていて、建築や彫刻の美しさが高く評価されています。ヒマラヤの展望台として知られるナガルコットから4時間ほどで歩いて行くことができるため、カトマンズへ訪れた旅行者にとって人気のハイキングコースとなっています。
ダクシンカリ寺院
カトマンズでは、八母神が東西南北とその間の8つの方角を守っていると考えられています。ダクシンカリ寺院は「南のカーリー寺院」という意味で、ヒンドゥー教の教えでは、死者の世界である南の方角を守っているのがこのカーリー女神です。カーリー女神は動物の生き血を要求する神のため、現在でも生きた動物が生贄として捧げられています。
ネパールにおける仏教とは?
4種類の仏教が信仰されている
仏教は5世紀ごろにインドから伝わってきたといわれています。現在はネワール族が信仰しているネワール仏教、北部の山岳地帯でチベット仏教の影響を受けて発展した山岳仏教、20世紀になって広まったテーラヴァーダ仏教、チベット移民が信仰するチベット仏教の4種類があります。
サンスクリット語の経典が数多く残るのはネパールだけ
インドでは13世紀にイスラム勢力の侵攻によって仏教は衰退しましたが、この時、カトマンズ盆地はイスラム教徒の侵攻を免れました。そのためインドの仏教徒が流れ込み、サンスクリット語の経典が伝えられたのです。
サンスクリット語の仏教経典が儀礼で用いられているのは、現在では世界でネパールのみといわれています。
カースト制を受け入れ、ヒンドゥー教と共存
カースト制はもともとヒンドゥー教独自の制度ですが、ネワール仏教にはカースト制が取り入れられています。
というのも、ヒンドゥー教系の王朝による支配が続く中で、カースト制を受け入れることが生き残る方法だったのです。
ネワール仏教徒のカーストは僧侶と在家仏教徒のカーストに二分され、また、ネワール族独自の職業カーストもあります。
後期密教が広まり、男女仏の交わりが表現されている
9世紀以降にインドで成立した後期密教では、悟りへの手段(方便)=男性原理、智恵(般若)=女性原理と捉え、その2つが1つになった状態を悟りとみなしました。
男性原理と女性原理の合体としての悟りは、男女の仏の交わりとして表現されるようになり、カトマンズ盆地の仏教寺院でも、男尊と妃の交わる像が数多く見られます。
ネパールにある仏教の聖地
スワヤンブナート寺院
カトマンズ西側の小高い丘の上にたつ、ネパール最古の仏教寺院。黄金の仏塔には、4面にブッダの智恵の目であるブッダアイが描かれています。この寺院の展望台からはカトマンズの街を一望でき、眺めがいいことでも有名です。
ボダナート寺院
36mというネパール最大の高さを誇る仏塔がある寺院。仏塔の周りにはチベット仏教の各宗派の僧院が並んでいます。1959年のチベット動乱以降は、チベット系少数民族、チベットからの亡命者が周辺に住みつくようになりました。19世紀末に日本人僧侶・川口慧海がここに立ち寄って滞在したことでも知られており、記念碑もたてられています。
マチェンドラナート寺院
マチェンドラナートとは、7世紀のインドのヒンドゥー教の聖者。また同時に仏教の観音菩薩とも考えられており、両方の信仰を集めています。カトマンズとパタンそれぞれに寺院があって、カトマンズの寺院はセト・マチェンドラナート、パタンの寺院はラト・マチェンドラナートと呼ばれています。
おわりに
ネパールの宗教は、仏教とヒンドゥー教が混ざり合っていると思われることが多いですが、人々の信仰は仏教徒とヒンドゥー教徒で明確にわかれています。
しかし、街中の小さなお寺などでは、仏教とヒンドゥー教の神様が一緒に祀られているケースも多いですし、ネパールに暮らす100以上の民族は、住む地域や民族によって信仰する宗教が分かれる傾向があります。
たとえば、カトマンズ盆地に住むネワール族はヒンドゥー教と仏教、山岳エリアに暮らすタマンやシェルパなどはチベット仏教の影響を受けた仏教、タライ平原に暮らすタルー族はヒンドゥー教を信仰するなど、インドとチベットに挟まれた地理的な影響を受ける傾向にあるようです。
以上、ネパール独自の仏教・ヒンドゥー教のご紹介でした。ネパールの遺跡をまわる際は、ぜひ参考にしてみてください♪